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印相解読所 人生の鍵

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冊子「人生の鍵」の抜粋を、下の☆メニューからご覧頂けます。タイトルをクリックし、私たちが日常使っているに印章・印鑑などの意味に触れてみて下さい。
※ご希望の方に無料進呈しております。

☆回生への道標
☆印章は自己の魂
☆印章と因果の法則
☆印相鑑定と撰作について
☆印相の歴史
☆不用な印、凶相印、他界された方の故印の処理方法

回生への道標


人それぞれ顔、形の異なる如く環境、生活等は生まれながらにして、すでにある程度は定められた個人差のあるのを指して、これを先天運或いは宿命と申しております。

この各人の先天運は非常に上下の差があり、これこそ我々には計り知れぬ神秘の法則によって裏付けられたものであり、如何ともし難いものですが、この先天運通りの人生を必ず歩まねばならぬとは限っていないのです。
天はそれほど無情ではありません。

先天運の是正法も知らぬ心無き運命家の判断で、自分の先天運の悪さを教えられたばかりに悲観煩悩の末、虚無的な厭世観に陥り、ますます不幸な先天運に拍車をかけている人が非常に多いのですが、もって生まれた運勢通りの道を辿る人は愚かな骨頂なのであります。

ある観相の大家はホクロ一つを例にとって指摘しても、その人の現状がピタリと判断出来るのが常識ではあるが、精神修養に心がけて、何時も良い環境を作り出すのに努力を惜しまぬ人には、災いの指摘が全く通用しないので判断が狂うことがあると述懐されております。

熱心な四柱推命の研究家も同じようなことを申しております。
稀には非の打ち所のない先天運に恵まれた生年月日に遭遇することがあるが、殆どは大なり小なり生まれながらにして不幸の星を背負っている反面、どのような人にも良運勢へ邁進する突破口に匹敵する吉星も共に兼ね備えておりながら、本人の自覚が足りないばかりに先天的な凶と吉の使い分けが出来ないのである。

先天的に賦与されているマイナスを克服してプラスを上手に伸ばした者が勝利者であり、これが又、人間としての義務ではなかろうかと云う説を拝聴しましたが、これには良い運命をいつも呼び込む想念と余程の勇気を必要と致します。
しかし垢だらけの身体に汚れた衣服を着けて、すがすがしい心境になれと申しても不可能であって、先ず凶運の原因となるものを身辺から即刻に取り除かなければなりません。

この実行方法として一番簡単で、しかも如実に効果のみられるのが印章の功罪であります。
現在の社会下では我々の生活に重要な位置を占めている印章の良し悪しが、大切な運勢の開発に影響しているのです。
不幸に呻吟する世の人々に、その原因を正して、どうすれば悪い先天的運命を転禍招福の軌道に乗せて歩ませることが出来るのだろうかと真面目にその研究に取り組んでいる有徳の運命家は、異口同音に良相の開運印を奨めております。

私が開運印の撰作に命をかけて世の中に貢献しなければならぬと云う自覚と自信を深めたのは、大東亜戦争でフィリッピンに出征中、私の部隊は全滅して、奇跡的にたった一人だけ助かったのです。

異国の空で栄養失調とアメーバ赤痢の肉体的苦痛に耐えながら生死の境目に、気も狂わんばかりの孤独と死の恐怖に故国の親族恋しさは募るばかり、涙しながら思わず握り締めたのはお守りの中の印章でした。
「内山」という先祖伝承の我が家系の表示を完璧なまでに良相に彫り上げた見事な一本の認印、両手を合掌してその中に、すっぽり納まってしまうこの小さな印章を握り締めて初めて悟ったのが先祖の恩恵でした。そして、その瞬間に勇気が湧き出たのです。

もう大丈夫だ・・・私は一人ではない・・・きっとご先祖がお守り下さるのだ・・・という自身の下に先祖と自分の不離一体を自覚することが出来て、道しるべなき山中を臆することなく、たった一人の放浪が始まったのです。
よくもあれだけ歩き続けて、あの大きい山を越すことが出来たものだと今は感慨無量ですが、それからも幾度も弾丸飛び交う死線を越えて無事、故国に帰ることが出来ました。

その都度、起死回生の自力と奮起を与え救って下さったのは印章に宿る祖先の魂に他ならないのだ・・・
尊い魂の仮の宿なれば出来る限りの良い相の印章製作に心胆を砕き、生命を賭けるのが当然の報恩だと肝に銘じたのです。
爾来、日本各地はもとより、遠くは海外よりのご依頼を受けて、数えることも不可能な膨大な数量の開運印を撰作致しました。
それに比例して効果は絶大だと云う、うれしいご報告やお便りも続々と山の如く積み重なっております。
それによって又、更に自信を増し、信念は倍化され、勇気付けられて日夜研鑽を重ねているのです。

朝顔の素朴な美しさはバラの花には見ることが出来ず、バラの豪華さは朝顔には見られません。
そして朝顔の種を蒔いてバラの花を咲かせるは不可能ですし、どれほどの肥料を施しても朝顔やバラが、杉のような大木にはならないのですが、その手入れの苦心によっては立派に大輪の花が咲き誇るのと同様に私達は、精一杯に長所を伸ばすことによって短所は自然と陰をひそめるのですから、人それぞれの先天性の長所を開発するのに顕著なしるしのある開運印を所持して、絢爛豪華な人生に大輪の花を咲き誇らせて、実のある人生を送って頂きたい。

私はただ、それだけの念願で開運印の普及に身命を賭しているのです。

初代開運印元祖  内山雅城


印章は自己の魂


印章は自己の信念であり、分身であり魂であります。この世に生を享けると出生届に始まり結婚に際しては挙式をするしないにかかわらず、婚姻届さえ出せば正式な夫婦と認められ、契約、登記、商取引、財産の保護から最後の死亡届に至るまで、印章の支配を受けております。現在のように発達した経済社会においては、印章の価値は大きく重要書類になればなるほど、びっくりするほど沢山の印が捺印してあり、一つでも印が足りないと、その書類は効力を発揮しません。

このように印章の価値は大きく、重要書類になればなるほど、自分自身よりも信用がある場合が多く、例えば銀行や役所に出かけていっても印鑑を忘れた為に本人でありながら一円のお金も受け取ることが出来なかったり、折角の用件が果たせず、けんもほろろな取り扱いを受け、出直すことも、長い一生にゆいて誰でも経験することです。

又、捺印することによって、その事柄を認めたという証拠となり、手形の額面が何億円と記載されていても発行者の印がないと紙切れ同様であり、書画骨董においても作者の印がないと値打ちは下がってしまいます。

このように最近では人よりも印そのものに絶対的信用が置かれています。人間は裸で生まれて後、例え大成功し巨万の富を築こうとも裸で死んで行くのであって、その間の財産は印が管理し、持ち主死んでも印は死んでおらず、相変わらずその印が財を保護し、相続者の印に受け継がれて完了するまでは生きており、印から印へと財産は受け継がれて行くのです。

従ってこの時、財産を受け継ぐ資格のない貧相な印の場合は、相続されて後3、四年たたずのうちにその大半をなくす場合が多く憂慮されます。こうして我々は家や土地等の不動産を我々人間が持っているかのよう二錯覚していますが、家や土地等を直接管理しているのは人間でなく、我々の魂であり分身である印章なのであります。従って我々がいくら土地建物にしがみついていても、印を悪用されると土地建物は他人の手に渡ってしまうのです。

このように我々が身に着けている事の出来ない財産はすべて印が我々の分身となって管理しています。
そしてこの印は無限の財産、即ち何千万から何百億はては日本全体のお金も一つの印で収用する事が出来るのであり、印は無限の包容力を持っているのです。故に印の重要性を認識した上で吉相の開運印を後生大事に保存すれば人生の栄光を手に入れる事も容易となるのです。

二代目開運印元祖 内山雅史

印章と因果の法則


およそ宇宙におけるすべての万物は大小粗細を問わず、天地陰陽と自然の法則に合体し人もこの世に生存する限り、この法則に合体した生き方をすれば常に新しき生命に生き、この原理をうまく生かすことがその人を幸運に導くことになります。

不幸や悲運は不自然な行動から生まれるのです。例えば、食べすぎ飲みすぎは不自然であるが故に胃腸障害を起こす原因となり、夜は睡眠を適当にとるのが自然であるのに、それを短くしたり夜起きて昼間寝るような生活が続くと不自然であり生活のリズムが狂い結果は病気になるのです。こうして宇宙の終始一貫、生きる法則の中には『因果応報』といって原因の『因』があれば『果』即ち結果が生ずるのであり、原因なしに結果は生じないのであります。従って印において、『不自然なる印』『天地自然の法則に合体しない印』であってはなりません。

悪い原因をもつ印はいつか悪いものと応呼しあって悪いものを誘導し悪い結果を生じるのです。
又、その人自身を象徴し、運命を暗示する印は大自然の原理に適したものにしなければなりません。
天地自然の法則に合体させた印、即ち開運印を所有して事業を成功した人、巨万の富を築いた人、栄光の道を歩んだ人々の実例は数知れずこの天地自然の法則に合体した印は、江戸時代では『開運招福の印判』と呼ばれ家宝として大切にされたものです。

印相鑑定と撰作について


印相に関しては、印相を鑑定する事と撰作(製作)することと二つの部所に分かれております。
印相鑑定は、その人が持っている印を判断することによって、その人の運命の吉凶禍福、即ち家庭運、物質運、財運、健康運、名誉運等を詳細に判断するものですが、私が印の鑑定を行うとき、あまりに的中するので印の所有者よりも自分自身がますます印の重要性を感じさせられ、私達の仕事は金銭に換算することの出来ない人の一生、人々の運命を預かる重要な仕事だとその都度痛感させられるのです。

撰作とは、印章を天地陰陽自然の法則に合体させて、実際に彫刻する事で撰作方法は、本人の持って生まれた運勢である先天運を示す生年月日、姓名に基づいて印相学の五大原則を具全し、先天運の弱い所は補い、強すぎる所を押さえ、これから先の運勢を伸達するようにすべきであります。

これは洋服に例えると私達の体格に合わせて製作するのと同様で、どんな高価な服でも本人の身体に合わなければ無用の長物となるのです。

こうして鑑定と撰作とは異なりますが、最近世間でも印相に関心が持たれ始め、専門家以外の人々にも吉相印だと称して商売しはじめておりますが、重要な撰作において基礎的な篆書体を知らないために文字の章法を無視し、図案のような無茶な印が多かったり、総て下職のハンコ屋まかせの出鱈目な印が多く、その中には『何処が吉相の印なのか』と首をかしげたくなるような程度の低い凶相印が多いので憂慮されます。

私は過去幾十年の間に、多くの方々からご依頼を受けて数え切れない開運印を撰作して参りましたが、各人の姓名は祖先につながるものであり、我々個人にとっては、それが一番大切なものである以上は、一文字一文字、仏像を刻む気持ちで彫刻に余念のないことは勿論のこと、出来上がれば、それを所持するお方の幸せを願わずには居られぬ心境となって何度も手落ちはないと念入りに点検をした上、思わずそれに合掌してしまうと云う明け暮れであります。

印相の歴史


☆日本への普及
印相が初めて日本に普及しだしたのは陰陽博士安倍晴明で、天文博士として、陰陽推歩の術を学び占術に通じ当時の陰陽雑占を職業とする人達から元祖として尊ばれていたそうです。
この安倍晴明の十五代目の孫にあたる安倍有宗入道は、人々の印を見てその吉凶判断を行い、あまりに的中率がよいので評判になったそうです。

☆江戸時代での印相
江戸時代では、現代のように印相とは言わず「判はんじ」や「印形占い」と言われてもてはやされ、「判は生命とかけ替え、首にかけよ」と言われたほどで、一般庶民の間でも印の重要性と同時に印の占断が流行しました。

また、花押印による吉凶判断は徳川の歴代将軍や旗本諸大名から認められ、陰陽道の総本山である土御門家でさかんに行われ、この頃に流行した花押印は、実用的であると同時に身を守る符としても大切に扱われました。
  印相の歴史
即ち、紙に吉相の花押印を押してからその紙を焼いて灰にして飲むと、あらゆる難病がたちまちなおったり、武者修行や親の仇討、その他種々の用事で旅をする人々には大願成就、無病息災などの呪縛を籠めた印を作って氏神に参拝し、御神前で神の御加護を祈って捺印し、印は神壇に捧げておいて御影を御守り袋や御籠にいれて旅行に出たそうです。

☆口伝で伝わる印相の秘伝
印相は昔より、他に秘伝が洩れるのを恐れるために口伝として伝わってきましたが、江戸時代に土御門家で学んだ野洲佐野の大聖密院盛典が「印判秘訣集」という本を享保一七年に発行し、反響を呼び、享保二年に「名判精正録」、文政四年に「名判集成」が発行されました。

参考:文化十三年発行「実印あらため」
「ソレ人間生涯ノウチ、出世ノ時節アリ、鬼神モ時ニ応ジ、コレヲ護ル。オノズカラ身ヲ修メ、家ヲ整ウ。天運四方ノ勢ニ輝クトイエドモ、聊カ障ヨリ万事クツガエリ、思ワヌ災難来ルカアルイハ損失ヲウケ、衰エトナリ、気病ヲヒキ出シ、不運トナル人少カラズ。是レミナモト不糺(フクダシ)ノ故ナリ。後悔ユルトモ詮ナシ。心得エベキ事ナリ。ソモソモ印判ハ人ノ一代、実ノ像(カタチ)ニシテ、身家ヲオサムル本ナリ。俗ニイウ首懸ノ印判ハオノオノ生年ニ相生(ソウショウ)改メ用イル時ハ、一代ノ災難ヲノガレ、オノズカラ幸福来タリ、子孫ヲツタエ、永ク繁昌ニイタルナリ。マタ相剋(ソウコク)スレバ、自然ニ諸難来タルコト遠カラズ、オソルベシ。」云々


不用な印、凶相印、他界された方の故印の処理方法


●してはいけない処理の方法
もし不必要な旧印があったとしても、不要であるからといって、ゴミ箱に捨てたり、川に流したりする方をよく見かけますが、これは大変な間違いです。

また、例え今まで使用してきた印が凶相印や不要な印であっても、これを破損したり捨てたりする事は、心ない処理方法であると云わねばなりません。

例え凶相印であっても、今までは自己の信を託して使用してきたものなので、その処理方法は充分にしなければいけません。また、やたらに旧い印を家の中に放置しておくと、浮浪霊がまとわり憑く結果となりますので御注意ください。

●不要な印や凶相な印は供養しましょう。
印鑑は一代のものです。印に彫刻されると同時に印霊なるものがやどり、所持者と共に人生を送るのであります。したがって、他界された人の印を堀り替えたり、そのまま使用すると自分の運勢にとってはよくありません。

またどんな良い印材でも、その印で成功されてもその人一代のもので、後、その印を使用してもうまくいきません。古印は丁重に供養しましょう。
印象堂では、皆様方の不要な印の供養を承っています。露天神社宮司により厳粛に修抜の上、印章供養塔にお納めいたしております。

ご希望の方は印を塩水で清めた上印象堂にお送りください。 修法並びに供花料はご任意です。又、一度お預かりした印は如何なる事があってもお返し出来ませんので、完全に不要になってからお送りください。
  不用な印、凶相印、他界された方の故印の処理方法