人それぞれ顔、形の異なる如く環境、生活等は生まれながらにして、すでにある程度は定められた個人差のあるのを指して、これを先天運或いは宿命と申しております。 |
印章は自己の信念であり、分身であり魂であります。この世に生を享けると出生届に始まり結婚に際しては挙式をするしないにかかわらず、婚姻届さえ出せば正式な夫婦と認められ、契約、登記、商取引、財産の保護から最後の死亡届に至るまで、印章の支配を受けております。現在のように発達した経済社会においては、印章の価値は大きく重要書類になればなるほど、びっくりするほど沢山の印が捺印してあり、一つでも印が足りないと、その書類は効力を発揮しません。 このように印章の価値は大きく、重要書類になればなるほど、自分自身よりも信用がある場合が多く、例えば銀行や役所に出かけていっても印鑑を忘れた為に本人でありながら一円のお金も受け取ることが出来なかったり、折角の用件が果たせず、けんもほろろな取り扱いを受け、出直すことも、長い一生にゆいて誰でも経験することです。 又、捺印することによって、その事柄を認めたという証拠となり、手形の額面が何億円と記載されていても発行者の印がないと紙切れ同様であり、書画骨董においても作者の印がないと値打ちは下がってしまいます。 このように最近では人よりも印そのものに絶対的信用が置かれています。人間は裸で生まれて後、例え大成功し巨万の富を築こうとも裸で死んで行くのであって、その間の財産は印が管理し、持ち主死んでも印は死んでおらず、相変わらずその印が財を保護し、相続者の印に受け継がれて完了するまでは生きており、印から印へと財産は受け継がれて行くのです。 従ってこの時、財産を受け継ぐ資格のない貧相な印の場合は、相続されて後3、四年たたずのうちにその大半をなくす場合が多く憂慮されます。こうして我々は家や土地等の不動産を我々人間が持っているかのよう二錯覚していますが、家や土地等を直接管理しているのは人間でなく、我々の魂であり分身である印章なのであります。従って我々がいくら土地建物にしがみついていても、印を悪用されると土地建物は他人の手に渡ってしまうのです。 このように我々が身に着けている事の出来ない財産はすべて印が我々の分身となって管理しています。 そしてこの印は無限の財産、即ち何千万から何百億はては日本全体のお金も一つの印で収用する事が出来るのであり、印は無限の包容力を持っているのです。故に印の重要性を認識した上で吉相の開運印を後生大事に保存すれば人生の栄光を手に入れる事も容易となるのです。 二代目開運印元祖 内山雅史 |
およそ宇宙におけるすべての万物は大小粗細を問わず、天地陰陽と自然の法則に合体し人もこの世に生存する限り、この法則に合体した生き方をすれば常に新しき生命に生き、この原理をうまく生かすことがその人を幸運に導くことになります。 不幸や悲運は不自然な行動から生まれるのです。例えば、食べすぎ飲みすぎは不自然であるが故に胃腸障害を起こす原因となり、夜は睡眠を適当にとるのが自然であるのに、それを短くしたり夜起きて昼間寝るような生活が続くと不自然であり生活のリズムが狂い結果は病気になるのです。こうして宇宙の終始一貫、生きる法則の中には『因果応報』といって原因の『因』があれば『果』即ち結果が生ずるのであり、原因なしに結果は生じないのであります。従って印において、『不自然なる印』『天地自然の法則に合体しない印』であってはなりません。 悪い原因をもつ印はいつか悪いものと応呼しあって悪いものを誘導し悪い結果を生じるのです。 又、その人自身を象徴し、運命を暗示する印は大自然の原理に適したものにしなければなりません。 天地自然の法則に合体させた印、即ち開運印を所有して事業を成功した人、巨万の富を築いた人、栄光の道を歩んだ人々の実例は数知れずこの天地自然の法則に合体した印は、江戸時代では『開運招福の印判』と呼ばれ家宝として大切にされたものです。 |
印相に関しては、印相を鑑定する事と撰作(製作)することと二つの部所に分かれております。 印相鑑定は、その人が持っている印を判断することによって、その人の運命の吉凶禍福、即ち家庭運、物質運、財運、健康運、名誉運等を詳細に判断するものですが、私が印の鑑定を行うとき、あまりに的中するので印の所有者よりも自分自身がますます印の重要性を感じさせられ、私達の仕事は金銭に換算することの出来ない人の一生、人々の運命を預かる重要な仕事だとその都度痛感させられるのです。 撰作とは、印章を天地陰陽自然の法則に合体させて、実際に彫刻する事で撰作方法は、本人の持って生まれた運勢である先天運を示す生年月日、姓名に基づいて印相学の五大原則を具全し、先天運の弱い所は補い、強すぎる所を押さえ、これから先の運勢を伸達するようにすべきであります。 これは洋服に例えると私達の体格に合わせて製作するのと同様で、どんな高価な服でも本人の身体に合わなければ無用の長物となるのです。 こうして鑑定と撰作とは異なりますが、最近世間でも印相に関心が持たれ始め、専門家以外の人々にも吉相印だと称して商売しはじめておりますが、重要な撰作において基礎的な篆書体を知らないために文字の章法を無視し、図案のような無茶な印が多かったり、総て下職のハンコ屋まかせの出鱈目な印が多く、その中には『何処が吉相の印なのか』と首をかしげたくなるような程度の低い凶相印が多いので憂慮されます。 私は過去幾十年の間に、多くの方々からご依頼を受けて数え切れない開運印を撰作して参りましたが、各人の姓名は祖先につながるものであり、我々個人にとっては、それが一番大切なものである以上は、一文字一文字、仏像を刻む気持ちで彫刻に余念のないことは勿論のこと、出来上がれば、それを所持するお方の幸せを願わずには居られぬ心境となって何度も手落ちはないと念入りに点検をした上、思わずそれに合掌してしまうと云う明け暮れであります。 |
☆日本への普及 印相が初めて日本に普及しだしたのは陰陽博士安倍晴明で、天文博士として、陰陽推歩の術を学び占術に通じ当時の陰陽雑占を職業とする人達から元祖として尊ばれていたそうです。 この安倍晴明の十五代目の孫にあたる安倍有宗入道は、人々の印を見てその吉凶判断を行い、あまりに的中率がよいので評判になったそうです。
☆口伝で伝わる印相の秘伝 印相は昔より、他に秘伝が洩れるのを恐れるために口伝として伝わってきましたが、江戸時代に土御門家で学んだ野洲佐野の大聖密院盛典が「印判秘訣集」という本を享保一七年に発行し、反響を呼び、享保二年に「名判精正録」、文政四年に「名判集成」が発行されました。 参考:文化十三年発行「実印あらため」 |
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●してはいけない処理の方法 もし不必要な旧印があったとしても、不要であるからといって、ゴミ箱に捨てたり、川に流したりする方をよく見かけますが、これは大変な間違いです。 また、例え今まで使用してきた印が凶相印や不要な印であっても、これを破損したり捨てたりする事は、心ない処理方法であると云わねばなりません。 例え凶相印であっても、今までは自己の信を託して使用してきたものなので、その処理方法は充分にしなければいけません。また、やたらに旧い印を家の中に放置しておくと、浮浪霊がまとわり憑く結果となりますので御注意ください。 ●不要な印や凶相な印は供養しましょう。 印鑑は一代のものです。印に彫刻されると同時に印霊なるものがやどり、所持者と共に人生を送るのであります。したがって、他界された人の印を堀り替えたり、そのまま使用すると自分の運勢にとってはよくありません。 またどんな良い印材でも、その印で成功されてもその人一代のもので、後、その印を使用してもうまくいきません。古印は丁重に供養しましょう。 印象堂では、皆様方の不要な印の供養を承っています。露天神社宮司により厳粛に修抜の上、印章供養塔にお納めいたしております。 ご希望の方は印を塩水で清めた上印象堂にお送りください。 修法並びに供花料はご任意です。又、一度お預かりした印は如何なる事があってもお返し出来ませんので、完全に不要になってからお送りください。 |
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